東日本大震災総括(その2)

3月11日午後2時40分頃に発生した地震の際、私は95年に発生した阪神淡路大震災を思い出した。当時、まだ大阪府堺市の病院に勤務していた。


堺市でも震度5程度の揺れであったため寝床から飛び起きた。直後に神戸の凄惨な被災現場のTV放送を見た。狭いエリアながら大都市を襲った直下型の大地震であった。


多数の建物は倒壊し、いたるところで火災が発生した。そのため多くの方々が圧死や重症熱傷で亡くなられた。また助かっても脊髄損傷や骨折、熱傷、助け出されたもののクラッシュ症候群等で命を救えなかった例もあった。


東日本大震災でも建物倒壊を第一に危惧した。診療所は軽い材で作られたものだから倒壊はないと思ったが、自宅部分は昔ながらの気仙大工の作である重たい赤瓦が乗っかっていて倒壊を想像した。


西宮の日本建築で作られた高級住宅が倒壊した姿とだぶったのだ。自宅には母がいたが、地震の最中は倒壊を恐れ建物の中に入れなかった。


3,11の大地震は阪神淡路大震災と異なり、直下型ではなかったことで振幅が水平方向にずれ動いた結果、家は大きく揺れたが倒壊は免れた。厳密いうとプレートが動いたため東方向に向かって地面がずれた(下がった)というような感じだ。


95年の阪神淡路や昭和の濃尾大地震などは直下型でありプレートではなく活断層が動くため振幅が短く、地面が上下、前後に引きちぎられたと例えよう。


ところで南海トラフの地震と津波が予想されているが、三陸海岸もまだ昭和の大津波と同様のプレート外側を震源としたアウターライズ型大津波が襲来する可能性があり油断は禁物である。


この津波はプレートの外側が震源になるため陸地から遠く、地震の大きさは最大震度5程度であり1時間以上の時間を経て三陸沿岸に来襲すると予想されている。