東日本大震災総括(番外編―5)

東日本大震災では多くの人たちが被害を受けたが、もちろん死亡数が多かったというのもあるが家を失ったり、仕事を失った方々がそれ以上に多かった。家を失った人たちは高台の避難所に移り生活を始め、後に仮設住宅などに移った。海から遠く離れた自治体に「みなし仮設」ということでアパートを借りた人たちもいた。

 

住居に関しては、避難所と違い、とりあえずプライバシーが確保されたが失職すなわち失業に対しては大きな手当がなかった。むろん義援金は各家に届いたと思うが定期的な収入ではなく、これらの人たちはどのように生活を維持したのかは、よく判らない。当クリニックでは早期にクリニックを再開することでスタッフの給与を維持した。

 

また何人かの若者を雇い入れた。生活するためにはお金は大事である。定期的に給料が得られれば生活も立ち行く。だがクリニックで雇い入れた者以外は、それなりに仕事を見つけざるを得ない。若者は都会に向かった者も多くいたが、多くの中高年者は地元で単純作業のアルバイトを見出すしかなかった。あるいは無職で年金を頼りに生活を構築した。

 

震災後、間もなく医療費が減免され医療機関窓口での支払いが無料になった。当然だ。それゆえ多くの患者が医療機関に殺到した。被災して再起できない医療機関が半数以上だったので多くの医療機関では患者が溢れた。当クリニックも被災した患者に限らず殺到したが、スタッフの労働時間を考慮して午後5時には絶対終業することを決め予約制に戻した。

 

ただ被災後、時間が経つと医療費無料を良いことに些細なことでも医療機関を受診する者も出てきた。その上「あれもこれもくれ」などと言う患者も現れた。また医療機関の中には高額な検査を安易に行ったり、高額な先発医薬品を院内処方でバンバン使用するようになった。またある医療機関は建物の再建ができず強引な訪問診療を行うようになった。ところが減免が中止になった後、それら医療機関から受診患者が減った。それも当然だ。

 

当クリニックでは問診で就業の状態など良く聞いて診療を行っていたし、可能な限り高価な医薬品を用いずジェネリック医薬品を用いていた。検査の回数も最低限しか行わない方針なので減免廃止後も患者数はほとんど減らなかった。

 

これらの話は決して自慢話ではない。これから先、社会保障費が無限に増大する世の中がやってくる。東日本大震災後の医療を経験した時、今後の医療機関は、まず経営を安定させスタッフのコストを維持するも、無駄な社会保障費を使わないという将来の高齢化社会に対するシュミレーションだと私は考えたのだ。