東日本大震災総括(その6)

私の場合、仙台にも自宅があり週2回、そこに帰ることができたので他の被災者と異なり安堵を得ることができた。また震災直後より一貫して仕事をしていたので収入は途切れることもなく、他の避難者より恵まれていたと思う。

 

ただ家族は東京に住んでおり、ともに被災した母は仙台の妹宅に預けていたので毎夜、歌津の接骨院の2階ですごしていた。

 

多くの被災者は家族が寄り添って避難所にいるが、私は接骨院で非常に孤独な夜を過ごした。当時は真っ暗な接骨院2階で、灯油ストーブの前に座り携帯ラジオを聞きながら酒を飲むしかなかったのだ。

 

昼間は元気で、健気に診療活動を行なうが、夕方スタッフが帰った後は孤立した接骨院2階で、孤独に過ごす。

 

現在もこの状態は続いており憂鬱になる。ゆえに引退を夢見るようになった。子供の学費のために、まだこの地で仕事を続ける必要があるが。

 

よくお寺の住職と話をするが、われわれも被災者だが常に被災者を励ます立場であり、弱音を吐くことは許されない。それがストレスになるね、と。

 

われわれも本当は打ちひしがれていて泣きたい時もあるんだけどね、と。医者と坊主は辛い。これは役場の職員も同じだ。ある役場職員は「涙が溢れて話が聞けない」と訴えた。

 

・・・・・

 

そんな中、別のお寺の住職が自殺した。彼の心の重さを誰も理解できなかったのである。

 

医者も坊主も、役場職員も生身の人間である。いつも被災者の話を聞いて前向きな話を提供していても、皆と同じ被災者であり不安や悩みは多い。

 

医者や坊主、あるいは役場職員に、何もかも話せる一般避難者は幸せだ。聞く方の立場になってみろ、と言いたくなることもある。