東日本大震災総括


私の祖父は昭和5年に宮城県南三陸町で個人医院を開業した。以来、祖父は昭和8年の三陸大津波、父は昭和35年のチリ地震津波、そして今回は私で東日本大震災による津波を経験した。

 

当診療所は、昭和5年の開院以来3度津波被害を受けたが、今回の津波が一番被害をもたらしたのはいうまでもない。現在も旧居住地での再建は不可能であり、今もこうして枡沢地区にある元接骨院で診療活動を行なっている。

 

まず当町はチリ地震津波で多くの死者を出したということで、全国のどの自治体より津波防災に対して見識が高く、毎年欠かさず避難訓練を行なっていた。しかし多数の死者が出た。

 

理由は簡単で、想定する津波の高さがチリ地震津波の高さであった。そう決めた町の防災担当者、指導した津波学者のミスリードである。

 

当診療所は南三陸町歌津地区すなわち旧歌津町伊里前地区にあったが、その6mの津波の来襲を想定して被災後の対策を考えていた。それが下記である。

 

   死亡者(遺体安置):西光寺(今回の津波で流出)

   けが人収容(仮入院):老健「つつじ苑」

   治療や手当:石泉地区住民センター

   避難場所:伊里前小学校ならびに歌津中学校

   物資搬入ならびにけが人搬送ルート:町道払川線で国道398号線に至る

 

しかしながら、それはあくまで平時の案であり、実際の大津波被害を受けた後に考えてみると、想定は机上の空論であった。避難場所と物資搬入ルート以外は全部外れた。

 

 

当日、起こったこと、その後のことについては正直思い出したくない。しかし医師としての東日本大震災の件について一度、総括が必要であり、近々に発生するとされる南海トラフ大地震ならび大津波の際の防災の手助けになればとの思いで、この原稿を書いている。